大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和33年(オ)553号 判決

上告人 野間清孝

被上告人 甲斐英子

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人の上告理由第一点について。

原判決によれば、原審は、被上告人(原告)の母春子が被上告人を懐胎した当時同女と上告人(被告)間に継続的に情交関係のあつたこと、当時同女が上告人以外の男子と情を通じたことは認められないこと、血液型の点で、被上告人はその母が同女であるかぎりにおいて、その父が上告人であつても不合理でないこと、上告人は同女が被上告人を懐胎した当時から昭和三〇年五、六月頃に至るまで被上告人が上告人の子であることを認めて仕送りを続け、被上告人母子を扶養していたこと等から、被上告人が上告人の子であることを推定したものであることが明らかである。そして、右のような事情があるときは、他に特段の事情がないかぎり、同女が被上告人を懐胎した当時上告人以外の男子と情を通じなかつたことを確立しないで、被上告人が上告人の子であることを推定しても、なんら経験則に反するものではない(当裁判所昭和三二年一二月三日判決、民集一一巻二〇〇九頁参照)。また、原審は控訴人(上告人)本人の尋問の結果その他原判決挙示のもろもろの証拠をしんしやくしたうえ、前記の諸事情を確定し、被上告人が上告人の子であることを推定したのであるから、原判決手続に所論の違法のないことは明らかである。所論は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨、事実の認定を非難するに帰するから、採用できない。

同第二点について。

原審の事実認定がなんら経験則に反するものでないことは第一点において説示したとおりであり、証拠の取捨に際して、原審がことさらに差別的取扱いをしたことは認められない。したがつて、原判決が憲法一四条に違反するとの所論は前提を欠き、その他の所論は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨を非難するに帰するから、いずれも、採用できない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 河村又介 裁判官 垂水克己 裁判官 石坂修一)

上告人の上告理由

第一点 原審判決は大審院判例と相反する判断を為したる違法の判決であるから御破棄相成るべきである。

一、大審院が明治四十五年四月五日(明治四五年(オ)第八六号)以来くり返し

「甲男を自己の父なりとして認知を訴求するには単に甲男と乙女と情交を通じたる事実を証明したるのみを以ては足れりとせず乙女が其懐胎当時に於て他の男性と通ぜざりし事実千係を乙女の操行其他乙女の懐胎当時に於ける四囲の状況によりて確立し以て甲男と乙女の交通か乙女懐胎の唯一の原因たりし事実に付きて裁判所の心証を得ることを要し裁判所はこの間の事情関係について十分に職権調査を為すべきことを指示しすすんで

「事実証拠によりて乙女が他の男子と接せざりしことの心証を裁判所に起さしむることを得ざりし」

場合、すなわちこれらの職権探知の結果乙女が当時不貞でなかつたことの心証が得られなかつた場合は

「原告は認知の訴に於て敗訴すべきものとす」

と判示しその判例は変更されたことなく同趣旨の判例がくり返されているのである。(昭和五年五月五日、昭和六年二月六日、昭和九年六月二十日)

二、子の認知訴訟は人事訴訟の範疇に属するものとして職権主義をとるものであり裁判所は当事者の提出する証拠のみならず進んで職権をもつて必要と思料される証拠調を遂行しあらゆる証拠調をもつてしてもその要証事実についてこれを真実とみとめる心証を得られなかつた場合ははじめて挙証責任分配の法則に従つてその責任ある当事者の不利益において裁判をすることとなるのである。

しかるに原審は要証事項について被上告人側が提出援用した証拠についてはなんらの判断を加えることなく、原審はこれらの証拠のみを綜合して本件の要証事実のすべてを肯認し被上告人勝訴の裁判をしたのであるかまたさらに進んで職権をもつて証拠調をした形迹がないことは

第一審において被上告人法定代理人母甲斐春子本人訊問は為しているが上告人本人野間情孝の訊問は為していなく被上告人の挙証のみに偏重し被上告人の母が上告人以外の男と情交千係があつたことに関しては事実上の推定を為さず及その他上告人が利益とする証拠は措信し難しとしてその反証を全く採用することなく只それだけの理由で上告人敗訴の裁判をしたことは人事訴訟法の職権主義に反し訴訟における挙証責任の法理を誤つたものと云うべきである。

三、更に明治四十五年四月五日以来の前顕判例を引用すれば

「乙女が其の懐胎当時に於て他の男子と通ぜざりし事実関係を乙女の操行其の他乙女の懐胎当時に於ける四囲の状況により確立し以て甲男と乙女の交通が乙女懐胎の唯一の原因たりし事実に付きて裁判所の心証を得ることを要し」とあり

上告人の証拠、すなわち

(一) 他の男性と肉体干係並にこれに関連する事実

1 証人守屋定夫の証言(記録第二九七丁乃至三〇一丁)

により同人が原告(被上告人)の母とその懐胎したと認めらる期間中

昭和十九年春頃より原告が生れる前までの間一ヵ月の内に四、五回夜も昼も情交関係を継続し他に男がいることが判つたから関係を止めた。

その間上告人には会つたことはない。

その当時他の男三十歳位の「大淀の男」に出会つた。

2 前同人の証言(第一審)

前同期間中母は「大淀の薬屋さんと同棲」し又「都城市のアタリヤと云うカフエーの主人とも同棲」した事実。

3 松林ミユキの証言

原告が出生した当時川野ヨシ子が原告は「大淀の薬屋さんとの間に出来たが被告の子である」と言つたことは聞かない。

4 横井カメの証言

昭和二十年頃男の出入が多かつた。

との事実。

(二) 原告の母が懐胎と認めらる期間中被告が病気の為外出不能の状態にあつた事実。

証人金九寅平(医師)、市来俊雄、野間君子、中村美澄

被告本人野間清孝

の証言により被告が継続して肉体関係が行われ得なかつた事実。

(三) 原告の母甲斐春子の操行其の他懐胎当時に於ける四囲の状況について

イ 前顕各証言による他の男性と通じた。

ロ カフエー宮阪会館、ミカド飲食店等に稼動しいわゆる職業的に他の男性と肉体交渉容易なる環境に於て転々していた事実。

等に関連して上告人は原審において多数関係者の抗弁を提出し且この事実を前顕の通り立証(反証)しているにも拘らず原告(被上告人)側の挙証のみによつて事実上の推定を為し判断したる原判決は前顕大審院判例と相反するものであり破毀せらるべきである。

第二点 原審判決は民法第一条の二並に憲法第十四条(両性平等)に違背せる判決であるから御破毀相成るべきである。

一、子の認知の訴訟は父と子との間における事実上の親子干係の存在を確認し且つこの事実に基いて法律上の親子関係を創設することを目的とする訴訟であつて親族法上、相続法上重大な影響を及ぼすことはもとより人倫の根本に関し公益にも関連する重要なものであるためにとくに人事訴訟によることを要するものとされこの訴訟においては当事者の処分権主義を制限し職権主義を採用しているものであつて単に当事者の挙証が不十分であるから一方的挙証に偏重することなくいわゆる挙証責任の法理を誤ることなく判断すべきであるが

上告人が証拠とする前顕の

イ 受胎可能期間中上告人以外の男と情交関係のあつた事実

ロ 上告人が昭和二十年十一月より昭和二十一年五月(前同期間中)迄の間病気の為外出不能の状態にあつた事実

ハ 被上告人の母の操行、四囲の状況関係

等の証拠を全く採用することなく被上告人側の挙証の仔細探究のみによつて事実を推定して被告敗訴の判断を下したるは差別的であり

原判決による被上告人挙証に係わる各証人は殆んど原告の母と親族又は姻族であり且知己等であることに徴して協合性を有しその証言を綜合して事実上の推定を下し被告をして敗訴せしめたるは前顕大審院判例による

「事実証拠によりて乙女が他の男子と接せざりしことの心証を裁判所に起さしむるを得ざりし場合乙女が当時不貞でなかつたことの心証が得られなかつた場合原告は認知の訴に於て敗訴すべきものとす」

に相反するものであり、従つて民法第一条の二の理念に反するは勿論、引いては憲法第十四条の両性の本質的平等に反するものであるから破毀すべきある。

参照 (一審判決)

主  文〈省略〉

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、その請求の原因として、

(一) 原告の実母原告法定代理人甲斐春子は昭和十九年十二月頃其の友人訴外坂口アツミの紹介により被告と相識るところとなり肉体関係を結んだが、宮崎市仲町五十四番地森某所有の家屋を借受け同所に居住するようになつた昭和二十年三月頃より毎夜同所において被告と情交関係を続けその後同年六月頃戦争苛烈さを加えたため一時肩書本籍地に疎開したがその間においても屡々宮崎市に出向いて被告と肉体関係を続けており、終戦後同年九月頃被告の要請により再び宮崎市仲町に家屋を借りうけて居住し同所において引続き被告と肉体関係を結んでいた。

(二) その結果昭和二十一年二月頃右甲斐春子は原告を懐妊し

(三) 同年十二月二日午前十時頃右同所において原告を分娩した

(四) 然して原告の実母右甲斐春子は原告を懐胎した当時は勿論その前後においても他の男子との肉体関係は絶対に存しなかつたのであるから原告は被告と右甲斐春子との間に生れた子であることに相違ないにも拘らず被告は原告を認知しない。

(五) 原告は昭和三十年七月二十五日被告を相手方として宮崎家庭裁判所に認知を求める旨の調停を申立てたが、被告がこれに応じないため右調停は不調に終つた。

仍て本訴請求に及ぶ次第であると陳述し、

立証として甲第一、二号証の各一、二第三乃至第五号証、検甲第一、二号証を提出し、証人原フミエ、同河野ヨシ(第一、二回)、同原田広徳、同原田春子、同甲斐ツヤ、同甲斐豊、同甲斐明、同守屋定夫(第二回)、同中村美澄の訊問を求め原告法定代理人甲斐春子本人訊問の結果鑑定人佐伯宗時鑑定の結果を各援用し、乙第一号証の成立を認め利益に援用した。

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、其の答弁として、

原告主張事実中(一)の事実の内、被告が昭和十九年十一月頃原告法定代理人甲斐春子と相識り時折肉体関係を結んだこと、昭和二十年九月頃から同年十月末頃までの間数回に亘り宮崎市仲町所在の同人方を訪ねたこと、及び(五)の事実は孰れもこれを認めるが、その余の事実はこれを争う。

即ち被告は右甲斐春子が宮崎市松山町料亭「若葉」において酌婦をしていた当時前記のように知り会つたもので以後昭和二十年五月頃までの間一回二円位の対価を支払い時折情交を結んでいたものである。而も被告は昭和二十年十一月より翌二十一年五月頃までの間病気のため外出不能の状態にありその間右甲斐春子とは全く逢つたことすらない。従つて右甲斐春子には右職業の関係上多数の男子と肉体関係があつたことは想像に難くないところであると共に前記被告が右甲斐春子と情交のあつた時期並びに被告か右病床に伏していた期間の原告の主張する其の出生年月日を併せ勘案すれば医学上原告は被告の子でないことは明白である。

よつて本訴請求は失当として棄却さるべきであると述べ、

立証として乙第一号証を提出し、証人守屋定夫(第一回)同松林ミユキ、同横井カメの各訊問を求め、甲第五号証の成立は不知爾余の甲号各証の成立は否認、検甲第一、二号証の文字及び絵は孰れも被告が書いたものではないと述べた。

理由

原告が原告法定代理人甲斐春子の嫡出でない子であることは証人原田広徳、同原田春子、同甲斐ツヤ、同甲斐豊、同甲斐明の各証言、原告法定代理人甲斐春子本人訊問の結果及び本件記録編綴に係る原告関係の戸籍抄本によつて明らかである。

そこで原告が右甲斐春子と被告との間に出生した子であるか否かについで按ずるに、証人原フミエ、同河野ヨシ(第一、二回)同原田広徳、同原田春子、同甲斐ツヤ、同甲斐豊、同甲斐明の各証言、原告法定代理人甲斐春子本人訊問の結果、鑑定人佐伯宗時鑑定の結果原告法定代理人甲斐春子本人の供述並びに右鑑定の結果により真正に成立したと認める甲号各証を綜合すると、右甲斐春子は昭和十四、五年頃から宮崎市橘通二丁目に在つたカフエー宮崎会館の女給として働いていたが昭和十九年十二月五日其の友人坂口アツミの紹介で宮崎市松山町アパート若葉荘において被告と相識るところとなり同夜同所において被告と肉体関係を結んだが、これが契機となつて、右甲斐春子は所謂被告の二号としてその仕送りによつて生活するようになり被告から右若葉荘の一室を借り受けて貰つて同所において被告と肉体関係を結んでいたが、昭和二十年四月頃同市仲町森某所有の家屋を借受けてもらつて同所に移転してからは毎夜のように同所において被告と関係を続けており、同年五月末頃より空襲が激しくなつたため、一時其の母訴外甲斐ツヤの居住する肩書本籍地に疎開したけれども右疎開後も屡々宮崎市に出向いて被告と関係を結び、終戦後である同年九月頃には再び宮崎市仲町に家を借り受け、爾来同所で被告と肉体関係を継続するようになつたところ右甲斐春子は昭和二十一年二月頃被告の胤を宿して原告を懐胎し同年十二月二日午前十時頃前記仲町所在の居宅で原告を分娩したこと並びに被告は右甲斐春子が原告を懐胎した当時は勿論原告出生後においても原告が認知の調停申立をなした直前の昭和三十年五、六月頃に至るまでは原告が被告の子であることを認めて仕送りを続け原告母子を扶養していたことを認むるに充分である。

被告は右甲斐春子が酌婦をしていた関係上多数の男子と肉体関係があつた旨及び右甲斐春子が原告を懐妊した当時は病気のため外出不能の状態にあつたので右甲斐春子と肉体関係を結んだことはない旨主張し証人守屋定夫(第一、二回)、同松林ミユキ、同中村美澄、同横井カメの各証言中これに副うところがあるけれどもこれらは前顕各証拠に照らし孰れも措信し難く他に前認定を覆して被告の主張を認めるに足る証拠は何等存在しない。

仍てこれが認知を求める原告の本訴請求は正当としてこれを認容すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文のとおり判決する。

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